2016年11月06日

久留米のがばいかあちゃん 幸恵

昨年亡くなった母は幸恵といって、久留米の出身だったんです。まあ、わたしなんかをがばいといったら、母さんはその何十倍もがばいんですよ。

久留米という、佐賀に近いところの出身だからかもしれませんね。まず朝がはやい。5時にたたき起こされます。福岡って西の方だから、5時というと、大阪とは30分、東京とは1時間は違うんですよ。夏でもまだ暗いんです。それをたたき起こされる。

朝食時に座る場所や順番もうるさかったし、ごはんはひとつぶ残すと怒られて学校へ行かせてもらえませんでした。鉛筆や消しゴムは本当に小さくなるまで使わせるし、夕飯の食材も野菜はほとんど庭で作ってましたね。

すごいのは鶏もかってて、卵をつかうのは当然なんですが、生まれてからの日数をつけてて。200日になったら、自分で絞めて解体して、唐揚げになって夕食で出てくるんです・・・・・。これは子供ながらにきつかったですね。まあ、おいしいのですが。

あとやっぱり育て方はスパルタそのもので、女の子なのに泣いて帰って来ると「何負けとっとか」って怒られて、やられたらやりかえしてこい、っていわれるんですよ。今ではもう笑ってしまうようなお話ばかりなんですか、ほんの40年くらい前はまだ当たり前の部分があったんですね。福岡に比べると、久留米はがばい母ちゃんがたくさんいた、というお話でした。



Posted by 福岡のがばい母ちゃん at 19:42│Comments(0)
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